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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和49年(行コ)1号 判決

控訴人 鈴木莞爾

右訴訟代理人弁護士 鍬田萬喜雄

被控訴人 宮崎県教育委員会

右代表者委員長 大野直数

右訴訟代理人弁護士 佐々木曼

同 殿所哲

右指定代理人 国府重利

〈ほか九名〉

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

原判決を取り消す。

被控訴人が昭和四三年九月三〇日付で控訴人に対してした解職処分を取り消す。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

との判決。

二  被控訴人

主文同旨の判決。

第二  当事者双方の主張は次につけ加えるほか原判決事実摘示と同じであるから、ここにこれを引用する。

一  控訴人

1  控訴人作成の文章に被控訴人指摘の誤字があること、控訴人が配布した数学のプリントに誤った解答を示したことは争わない。しかしながらこれらの誤りは本件解職の事由として主張されていなかったものであり、右の誤字、誤答は控訴人の教師としての未経験と若さによるものであって、教師としての未熟さ、不完全性は控訴人の努力と先輩教師の指導、助言によって容易に改善、克服が可能であるにもかかわらず、被控訴人はこれを誇大に評価したものであって、許された裁量権の範囲を著しく逸脱している。

2  被控訴人は、控訴人が初任者研修に際し真面目さに欠け、殊更に指導主事に反発するなど教師として必要な協調性に欠ける点があるとしているけれども、そのようにみるのは控訴人の一時的な言動をとらえて著しく独断的、恣意的な評価をなしたものというべきである。

二  被控訴人

控訴人の前記1、2の主張は争う。控訴人の犯した誤字、誤った解答は多分に控訴人の性格、教師としての心構え自体に由来するものであって、若年である故の不注意に帰せられるものではなく、先輩教師の単なる指導、助言によって改善克服されるものではない。また、初任者研修の際の控訴人の言動は、不遜かつ非常識なもので教師としての協調性を疑わせるものである。

第三  証拠関係《省略》

理由

一  控訴人が昭和四三年四月一日被控訴人により宮崎県市町村立学校教員として採用され、同県児湯郡木城村立木城中学校に勤務していたところ、同年九月三〇日被控訴人から勤務成績不良の理由により解職処分を受けたことは当事者間に争いがない。

二  そこで本件解職処分の適否について検討する。

(一)  地方公務員法(以下「地公法」という。)二二条一項は「臨時的任用又は非常勤職員の任用の場合を除き、職員の採用は、すべて条件附のものとし、その職員がその職において六月を勤務し、その間その職務を良好な成績で遂行したときに正式採用になるものとする。」と規定し、いわゆる条件附採用制度をとることとしているが、この制度の趣旨、目的は職員の採用にあたって行われる競争試験もしくは選考の方法(地公法一七条三項四項参照)がなお職務を遂行する能力を完全に実証するとはいい難いことにかんがみ、試験又は選考によりいったん採用された職員の中に不適格者があるときはその排除を容易にし、もって、職員の採用を能力の実証に基づいて行うとの成績主義の原則(地公法一五条参照)を貫徹しようとすることにあると解される。したがって、条件附採用期間中の職員は正式採用されるまでの選択過程にあるのであって、右職員に対しては正式採用の職員に対する身分保障規定の一つである職員の分限に関する規定の適用が排除され、分限については条例で必要な事項を定めることができる旨規定されている(地公法二九条の二)。しかしながら、条件附採用期間中の職員といえどもすでに試験又は選考の過程を経て勤務し、現に給与の支給も受け正式採用になることの期待を有するものであり、かつ、右の法令が存する以上法令所定の事由に該当しない限り分限されないという身分の保障を受けるものと解されるけれども、条件附採用制度の前記のような趣旨、目的からして、条件附採用期間中の職員に対する分限処分については任命権者に相応の裁量権が認められることはいうまでもない。もとより、これが裁量は純然たる自由裁量ではなく、その処分が合理性をもつものとして許容される限度をこえた不当なものであるときは裁量権の行使を誤った違法なものになるというべきである(最高裁判所昭和四九年一二月一七日第三小法廷判決・裁判集民事一一三号六二九頁参照)。

宮崎県において条件附採用期間中の職員の分限に関する条例がいまだ制定されていないことは弁論の全趣旨から明らかであるが、かかる場合、同じく条件附採用期間中の国家公務員の分限につき定めた人事院規則一一―四(職員の身分保障)九条の規定に準じて、勤務実績の不良なこと、心身に故障があることその他の事実に基づいてその官職に引き続き任用しておくことが適当でないと認められる場合に限り許されるものと解するのが相当である。

(二)  被控訴人主張の解職処分事由について

1  道徳授業時間の不履行(原判決事実摘示中、被控訴人主張(二)1)、宣誓の際の言動(同(二)2)、感想文(同(二)3)、研修終了の際の発言(同(二)4)、教材研究の懈怠、学習指導の不徹底(同(二)5)、復命懈怠(同(二)6)、誤字のある標語の放置等(同(二)7)、教室における竹棒の使用等(同(二)8)、教務手帳の不提出(同(二)9)、通知票の提示拒否(同(二)10)、机上の整理整頓が不充分であること(同(二)13)、答案用紙等の点検懈怠(同(二)14)、生徒に対する言葉遣い(同(二)15)、服装について(同(二)16)、職員会議への遅刻(同(二)17)、これらの事由についての当裁判所の認定判断は、原判決書一三枚目表末行から同裏一行目にかけての「弁論の全趣旨」を「当審証人秦重勝の証言」と改め、同二五枚目表九行目中「証人吉野忠行」の下に「当審証人秦重勝」を加えるほか、原判決の理由説示(原判決書一一枚目裏六行目から二五枚目裏四行目まで及び二六枚目裏二行目から二七枚目裏末行まで)と同じであるから、ここにこれを引用する。

2  職員会議終了後の発言(同(二)11)

「《証拠省略》によると、八月二六日開催の職員会議において、朝の自習の方法や運動会に出す賞品について協議が行われたが、控訴人は自習の方法について従来の無言でプリントによる学習をするやり方よりも理解できないところは互に話し合ってやるべきだとか、運動会には全員に参加賞を出すべきで特別に賞を出す必要はないなどの意見を述べたが、結局いずれも従来どおりの方法で行うことが決定されたのに、会議終了後控訴人は「年寄りの言うことは古い。全く感覚がずれている。」などと大声で放言し、居合せた職員に奇異な感じを与えたことが認められ、これに反する控訴人本人尋問の結果(原審)は措信しない。控訴人の右の発言は、すでに議論して定まったことにつき自説に固執して非常識な言動に出たものであり、控訴人において謙虚さに欠けるところがあるとみられてもやむを得ない。

3  学級備え付け記録簿の点検について(同(二)12)

控訴人担当の学級に忘れ物調べ簿、クラス会議事録が備え付けてあったことは当事者間に争いがない。

《証拠省略》によれば「忘れ物調べ容儀服装簿」は生徒が自主的に作成したもので生徒自身が行った調査の結果が記載され、これに基づいて担当教師及び生徒が反省ないし感想を記載するようになっており、クラス会議事録はクラス会における協議の内容をメモするため控訴人が作成したものであって、前者については七月八日分についてのみ控訴人の検印があり、その余については検印がなく、後者については控訴人が点検した形跡はないことが認められる。控訴人は、これらの記録簿は点検を目的として作成されたものではない旨供述するが、その作成の動機、目的にかんがみて担当教師が当然これを点検し、生徒に対し適切な指導、助言を与えることが要請されていることは容易に理解できるのであって、このことは当審証人児玉畩雄の証言からも窺うことができる。そして、控訴人がこれらの記録簿の充分な点検を怠り、適切な指導を行わなかったことは、控訴人がこれらの記録簿のもつ教育的意義ないし効果を軽視していたとの非難を受けてもやむを得ない。

なお、班別日誌、家庭連絡簿について、控訴人が点検、指導を怠ったことを認めるに足る証拠はない。

4  控訴人は、控訴人の勤務評定を行った吉野校長が日頃学校に不在がちであるうえ公正な評価をなす適性に欠けており、控訴人の片言隻句にとらわれた評価は著しく主観的、恣意的で不当であると主張する。しかしながら、控訴人に対する評定は、それ自体控訴人が教師としての適格性を有するか否かを定めるについての一つの評価ないしはそれに対する結論であって、もとよりそれは本人の人格、識見、能力等全般的に通暁し、その指導監督の衝にあたる者に任されるのであり、その評定自体吉野校長の名において行われるものであるが、同校長ひとりが行うものでなく、その衝にあたる者が一体となって評定の基礎となる事実を把握し、その事実をもとにして評定を行うものであって、本件勤務評定を行った吉野校長に控訴人主張の出張、年休があったにせよ、そのことから同校長の控訴人の勤務の実態についての認識把握が不充分であり公正な評定をなす適性に欠ける点があったとはなしがたく、本件全証拠による同校長の評定が著しく主観的、恣意的なものであったことを窺わせる特段の事情は認められない。

5  控訴人は、その作成文書中の誤字、数学問題に対する誤った解答は、控訴人の不注意に基づくものであり、控訴人自身の努力によって容易に克服可能な性質のものであるのに、この点を無視した本件処分には著しい裁量権の逸脱があると主張する。控訴人作成の文書、数学の解答に誤字ないし誤答があったことは先に引用した原判決認定(原判決書一九枚目裏一行目から同二〇枚目裏六行目まで)のとおりであり、これらの誤りはその内容、性質、頻度からみれば単なる控訴人の不注意に基づくものとしてたやすく看過できるものではなく、教師としての適格性判断の一要素としての意味をもつことは否定しがたいところであるから、被控訴人が本件処分にあたり、これを適格性の評価の対象としたことは当然であり、被控訴人に裁量権の逸脱があったということはできない。

6  控訴人は、控訴人に教師としての未熟さや不完全な点があったとしても、先輩教師の適切な指導、助言があれば本来克服可能なものであるから、これらの指導、助言を行わなかったのは不当であると主張する。しかしながら、条件附採用制度は競争試験等による成績主義の原則の貫徹を期そうとするものであって、条件附採用者に対する教育、矯正を目的とするものではない。のみならず、前記認定にかかる初任者研修の際の発言内容(原判決書一八枚目表三行目から同裏三行目まで)及び通知票の提示拒否(原判決書二五枚目表九行目から同裏二行目まで)の事実から窺われるごとく、控訴人は先輩教師の指導、助言を素直に受け容れる謙虚さを欠き、かつまた、控訴人にみられる前記のような誤字ないし解答の誤りは、大学卒の学歴をもつ教師として基本的知識の有無が問われる事柄であって、かかる基礎的知識の習得は自らの責任と努力に任されているものというべく、したがって、先輩、同僚教師の指導、助言がなかったことを云々する控訴人の主張はとうてい採用することができない。

7  更に控訴人は、初任者研修の際の控訴人の言動は若者にありがちな一時的、偶発的なものに過ぎず、これを協調性の欠除の徴憑として過大に評価するのは不当であると主張する。控訴人が五月八日の初任者研修の際に指導主事と対決することになる旨の発言をしたことは先に引用した原判決認定のとおりである。そして、個々の教師の価値観、教育に対する考え方に相違のありうることは当然としても、控訴人の前記のような言動が如何なる考え方に基づくものか必らずしも明らかではないが、これまでの教師としての僅かな体験に基づくものであるならば、その発言の趣旨を具体的に示さないで単に対決すると発言することは余りにも軽卒のそしりを免れず、初任者としての謙虚さや協調性に欠けるとの評価を受けてもやむを得ない。

8  なお控訴人は、本件処分が処分事由の具体的内容を明示しなかったことを不当であると主張するけれども、本件処分について処分理由の開示は法律上要求されていないし、その必要性もないから被控訴人が控訴人に対し本件処分の理由を明示しなかったからといってこれを不当ということはできない。

三  そこで以上認定の事実に基づいて本件解職処分の適否について判断するに、被控訴人が控訴人を教師としての適格性に欠けると判断した事由のうちには証拠上認められないものもあり、また証拠上認められる事由が適格性の判断に直接結びつかないものや被控訴人の評価が厳しすぎると思われるものもないではないが、処分事由として肯認できる事実関係に徴すれば、控訴人は学級経営、学習指導の面において自覚と積極性に欠け、基礎的な知識の不足、注意力の散漫、上司や同僚との協議に際し自己の主張を固執して反省の態度や謙虚さに欠けるところがあり、協調性に乏しい性格であることなど教師としての適格性に欠ける点があることは否定できない。被控訴人が控訴人に対し全体として勤務成績が不良であると評価し教師としての適格性を欠くと判断したのはやむを得ないところであり、右の判断に基づいてなした被控訴人の本件解職処分が裁量権の行使を誤った違法なものであるということはできない。

なお控訴人は本件解職処分が控訴人の組合活動を嫌悪し、これに対する報復として反組合的意図のもとになされたと主張するが、これを認めるに足る証拠はない。

四  そうすると、被控訴人が控訴人に対してなした本件解職処分はこれを取り消すに足る違法はなく、したがって、控訴人の本訴請求は理由がなく、失当として棄却を免れないところ、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当であって本件控訴は理由がない。

よって本件控訴を棄却し、控訴費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して主文のように判決する。

(裁判官 松信尚章 裁判長裁判官舘忠彦は転任につき、裁判官西川賢二は転官につき、署名捺印することができない。裁判官 松信尚章)

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